アーイシャ

Posted on May 5th, 2010 by Author

アーイシャ・ビント=アビー=バクル(عائشة بنت أبي بكر‎ ʿĀ'isha bint Abī Bakr, 614年頃 - 678年)は、イスラーム教の開祖ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフの3番目の妻で、初代正統カリフのアブー=バクル・アル=スィッディークの娘。預言者ムハンマド最愛の妻とされる。

生涯

ムスリム(イスラーム教徒)がマディーナ(メディナ)にイスラーム共同体(ウンマ)を建設した後、ヒジュラ以前にすでにメッカで最初の妻ハディージャを失っていたムハンマドは、友人でもあったアブー=バクルから再婚を勧められ、寡婦サウダとともに彼の娘アーイシャと婚姻を結んだ。あるハディースの伝えるところによれば、アーイシャは6歳で当時53歳だったムハンマドと婚約して9歳で婚姻を完成させ(「性行為を行った」という意味と解される)、彼が没するまでの9年間をともに生活したと伝えられる。

ムハンマドは、アーイシャ以外にもウンマ内外の有力者との婚姻を繰り返したために最終的な妻の数は10人を越えたが、妻のほとんどは寡婦であり、初婚で結婚時に処女であった妻はアーイシャのみであったという。

ムハンマドはクルアーン(コーラン)の教えに従って全員を平等に扱っていたが、危篤から臨終の際は特にアーイシャのもとに留まり、彼女の部屋で亡くなった。このことから、アーイシャはハディージャ以外ではムハンマド最愛の妻と考えられている。アーイシャはムハンマドに近侍したことから彼の言行をよく記憶し、多くのハディースを伝えたとされる。

ムハンマドの死後、アーイシャは預言者最愛の妻としてムスリムの尊敬を集め、初期のイスラーム社会に強い影響力をもった。ムハンマドの死後すぐの段階で、アーイシャはムハンマドが自分の死後アリーを後継者とするよう遺言したアリー派の信者たちの訴えを拒絶したとされる。後年には政治にも関与しており、第3代カリフのウスマーン・イブン=アッファーンの政策を批判し、長年敵対的な関係にあったアリー・イブン=アビー=ターリブがウスマーン暗殺後に第4代カリフとなった時には、公然と反抗した。しかし、656年に彼女も輿に乗って参加したというラクダの戦いにおいてアリーに敗れると政治から退き、ムハンマドの言行を人々に伝えて預言者の教えやムスリムにふさわしい生活の指針を与えることに務め、マディーナで没した。

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関連項目

著名なムスリム一覧